鎌倉時代に既に相当普及していた
外壁リフォームと呼ばれる建築が鎌倉時代に既に相当普及していた模様を、再び『明月記』によって見てみようと思います。
まず嘉禄二年一〇月六日条に、去る比雨の降る夜、籟盗、通具卿の土倉を穿ち、収め置く所の雑物を取る。
鶴眼三百貫、沙金一壷、濃州の桑糸六十疋、鋤鍬等と云々とあるのは公卿の邸内に土倉のあったことを示すものであるし、文暦元年八月五口条に、一昨日の火事実説、烏丸の西、油小路の東、七条坊門の南、八条坊門の北、地を払ひて焼亡す。土倉、員数を知らず。商質充満す。
海内の財貨只其の所に在りと云々と記しているのは京都下京界隈の股賑を活写して余りあるが、「不知員数」という表現に、市中に土倉の多数建ち並んでいたさまを彷彿させます。